「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれるということが,宮崎先生のお話で印象に残ったので綴ってみます.
私たちは生活する中で,自分自身を中心にして(自己中ということではありません)人生を体験していると思いますが,自分のストーリーだけではなく,「おかげさま」という言葉をもってストーリーを描くと自然と喜びが生まれるというお話でした.なるほど,確かにそうだと納得しました.
では,ためしに私のある1日を綴ってみましょう.
今朝は6:20に起き,朝食をとり,身支度をして朝づとめに参拝し,7:20に家を出て車で出勤しました.8:30より17:00まで仕事をして,車で家に帰り,夕づとめに参拝して,夕食をとり,食休みをした後,運動をして,入浴を済ませ,ブログを書いて床に就きました.
これが自分のストーリーです.これをおかげさまストーリーで綴るとたとえば以下のように綴れるかもしれません.
今朝は6:20にお蔭様で元気に目覚めさせていただき,朝食もお蔭様でいつもと変わりなく喉を通りましておいしくいただきました.身支度をした後,朝づとめに参拝させていただき,7:20に家を出て車で出勤し,お蔭様で事故に遭うこともなく,無事職場につきました.8:30より17:00までお蔭様で何のトラブルもなく仕事をつとめさせていただき,再びお蔭様で何事もなく家に帰らせていただきました.夕づとめに参拝させていただいた後,お蔭様で夕食をおいしくいただき,食休みをした後,お蔭様で怪我をすることもなくいつもの運動をさせていただき,お蔭様であたたかいお風呂をいただき,お蔭様で書き込みエラーも出ずブログを書かせていただき,床に就かせていただきました.お蔭様で無事平穏な一日でした.ありがとうございました.
分かりやすく1日を綴ったので,後者の文章は少々読みにくくなってしまいましたが,感謝が自然と滲み出ています.要はそのときそのときに自己報告型の体験だけをするのではなく,親神様に報告する形で体験する,言わば「おかげさま」の気持ちを持って過ごすことを心がけると自然とどんなことにも喜びが生まれてくるということです.お道を信仰されている方はすでに習慣になっているかもしれませんが,ともすると当たり前のことと思ってしまい,感謝や喜びを忘れてしまいがちです.毎日,私たちを生かしてくださっている親神様におかげさまのストーリーをお届けできるよう心がけたいものです.
さて,他にもいくつか先生のお話の中で印象に残って是非記事にしようと思った箇所がいくつかありましたが,やはり私の記憶力ではどこまでが先生がお話しされて,どこからが私の理解であり,解釈なのかがもはや区別がつきませんので,以降は先生のお話をヒントとして私が考えたこととして綴りたいと思います.楽しみにされていた方いましたらすいません.
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