「心はパズル」という言葉も印象に残りました.それについて綴りたいと思います.
先の記事で「
心は自由」という話をしましたが,自由といっても知らず知らずのうちに心の遣い方は凝り固まっていき,言わば敷き詰められたパズルのようになっていきます.長く生きればそれだけ色々な考え方が身につき,大きなパズルができあがっていきます.
世の中は自分の考えだけで渡れるわけではありませんから,決まった枠がないと空き枠にピースにぴったりはまらないのと同様に,自分の考えの枠にぴったり入らないことが必ず出てきます.
どんなに頭をひねっても,そのピースがどこにも入らない,そんなとき人はどうするでしょうか.
そのピースが不良品だといったメーカーにクレームをつけますか?それともピースを削って強引に押し込みますか?あるいはピースを放り出してやめてしまいますか?これらのやり方をする人は一時はその事態を乗り越えることができるかもしれませんが,度々起こる同様の事態を乗り越えていくことは不可能でしょう.つまり,いつまでたってもパズルは完成しないということです.たいていの人は「今までのパズルにどこか間違いがあったのではないか」と思い,自分がこれまでに作り上げたパズルに疑問を抱き,製作過程を振り返り,場合によってはパズルを崩すという行動に出ると思います.
人間の心も同様と思います.ある事態がどうにも自分のこれまでの考えで心におさまりきらないとき,それは今まで自分が作り上げた心のパズルを崩す必要があります.周囲に文句を言ったり,周囲を強引に変えようとしたり,放り出してやめてしまっては,根本的解決にはなりませんし,心のパズルはいつまでたっても先へ進みません.
今までの自分の考えの枠―心のパズルを崩して振り返り,また新たな考えの枠―心のパズルを組んでいくことで,その事態がぴったりおさまるよう枠作りをしていく必要があります.やがて,今までおさまらなかったものがぴったりと心におさまるときが来るはずです.
どうにも呑み込めない,おさまらない事態に遭遇したとき,それはこれまでの心のパズル―考えの枠をぶっ壊すチャンスです.そこから新たな心の成人が生まれるでしょう.
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心は自由
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