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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

悲嘆(その1) 

悲しみにくれることは誰しもあると思います.それは肉親を含めた親しき者の死かもしれませんし,友人や恋人との決別かもしれません.あるいは,愛着のあるペットとの別れ,住み慣れた家からの引っ越し,長く続けてきた仕事からの退職,さらには何かの記念に買ってもらった消しゴムを使いきったときなど,自分との結びつきの強い対象との別れによって引き起こされるのが一般的であります.

悲しみにくれることを悲嘆(grief)と言いますが,ある対象の喪失から生じる強い感情ないし情緒的な苦しみとでも定義できるでしょうか.つまり,何か大切なものを失ったときに生じるその人にしか分からないつらい気持ちとでも言いましょうか.そして,悲しむことはその喪失に適応するために必要とされる身体的・感情的な過程であると捉えられています.

ですから,これらの喪失体験があったときに悲しみにくれるのは,ごく自然な過程であり,むしろ必要なことなのです.悲しくなんかない!と悲しみを否定したり,悲しいけど我慢しなくちゃ!と抑圧したりすることは精神的健康のためにはあまりよくありません.最初のうちはその事実を事実として受け止められず,鈍麻になることもあるかもしれませんが,少しずつその喪失が現実として理解できたときに悲しみはあふれるものです.
悲嘆から回復することで人はひとつの悲しみを置いておけるようになり,また新たな生活を歩めるようになります.「置いておける」というのは,喪失の悲しい気持ちやその対象への思いを忘れるわけではないけれども,いつもその悲しみと一緒にいるのではなく,折に触れて想起し味わうことができるようになるということです.喪失した対象への気持ちはずっと変わらないかもしれませんし,時間を経て変化していくものかもしれません.いずれにしても,その対象をかけがえのない存在として大切に思っていたことがあったという事実は悲しみが晴れても忘れないでいたいものです.

私も対象喪失と呼べる体験がこれまでに何度かありました・・・喪失は悲しいものですね.自分にとってその対象が大切であればあるほど,対象にとって自分が必要な存在であればあるほど.

次回は悲嘆とはどのような反応なのかを書きたいと思います.
(実はこの記事は半年以上前に記述されながらずっと下書き保存されていたものです)
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私は比較的立ち直るのが早いのですが、思い出して悲しくなることって、たまにあります。
「置いておける」っていうの…なるほどな~って思ってしまいました。
時間が解決してくれるものですよね。
[ 2007/03/30 00:26 ] [ 編集 ]
人生の中で、大切なものを失う事は、大変悲しいし辛いものですね

失って悲しいものの最たるものが「配偶者の死」だとネットに書いてありました。そして、離婚や別居、失業や退職や転職、転居などだそうで・・
私は、順々ですが、離婚、退職、転職、転居、失恋(?)などを経験しました。段々強くなるのでは無くて、段々と臆病に成ってしまった様な気がします。

だけど、こんなの変だ! 神様は、人間を喜ばしたいから、私にとって辛いお知らせだけど長いスパンで考えたら、私の幸せの為に新しい道を教えてくれたのだと思い直して、良いことの前兆だとして生きることにしました。

そうしたら、心の負担が少し軽くなり、今まで引きこもっていた生活から、多くの人と出会える生活と成りました。人生がコロリと変わった感じがします。

それも、まおさんのブログに出会ってからです。心休まるコメントが私を変えたのかも知れません。大変ありがたい、ブログで有り、天理教の教えだと思っています。
ありがとうございます。これからも、よろしくお願い致します。
[ 2007/03/30 16:42 ] [ 編集 ]
>しきさん
悲しみやショックはある程度時間が解決してくれるものです.そのときは何で?と思ってもやがてその意味(親の思い)がわかるときがくると私は思います.

>ごはんさん
Holmes & Raheの論文ですね.有名です.40年前の論文ですが,そんなに人の心理は変わるものでもないので現代にも通用するスケールのような気がします.
ごはんさんの考え方は素敵だと思います.私もどんなことでも子どもの成人を期待してのお手紙と思うようにしています.こちらこそよろしくお願いします.
[ 2007/03/31 08:30 ] [ 編集 ]
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