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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

おたすけにも枠を? 

未読の方は以下をまず閲覧ください.
おたすけの位置づけ

3日に宮崎先生にお会いした際に,先生は心理臨床の仕事をしていく中で,治療上重要視される「枠」ということを,おたすけにも活用していいと思うと話してくれました.そのことについて考えてみたいと思います.

以前,私は冒頭にあげた記事において,精神科臨床とおたすけの違いについて以下のように記述しています.

前者はその役割を演じる時間的・空間的に限りがあり,同時にそのことが自分自身を守ることにもなっています.限られた時間帯と場所での援助ということです.限りがあることで自分自身のその他の役割(たとえば夫に対しての妻・子どもに対しての母親・母親に対しての娘など)を侵害されることなく果たすことができます.したがって「勤務時間ないしは職場環境によって守ってもらっている」というある程度の安心感があります.(中略)

後者は時間的・空間的に特に自分で設定しない限りは限りはないということがあると思います.限りがないということはその他の役割を同時にこなしながら援助を続けていくということです.時間的・空間的限界によって自分自身を守ることができない代わりに,私たちお道の信仰者はどうしているでしょうか?私たちには幸いにも「いつ何時でも親神様が守ってくださっている」という安心感があると思います.たとえ私生活との間に明確な境界がなくともその感覚で援助を続けていける面もあると思います.それでも人間ですから限界点はあると思いますが・・・.

さて,私がこの両者をどのように区別しているかと言いますと,仕事はあくまでも仕事です.それ以上の関わりをすることはありません.職業的役割関係以外に関係持ち込むことは職業倫理として禁じられているくらいです.また,そうすることが治療的だということもあります.(以下省略)



これが正しいとは限りませんが,当時の私の理解を綴ったつもりです.お道のおたすけにおける実践という面がまだ私には乏しいので,書くこと自体恐縮なのですが,要するに心理臨床においては予め決められた時間・場所での援助ということになります.それに対して,お道のおたすけは予め決まっているわけではなく,救けを求めている人がいれば時間・場所にかかわらずいつ何時でもさせていただけるものというのが理想論としてあり,その実践のために際限なく勇ませていただく(援助する)という姿があるように思います.したがって,宮崎先生の言葉を聞いたときは「え!?いいの?」と思いました.私もいずれおたすけをするようになったら,無制限の援助をさせていただかなければいけないと思っていたからです.現に,過去私は天理の友人宅で深夜2時3時まで,お道の援助のあり方について,友人とその弟とその辺りのことで議論した覚えが曖昧ながらあります.(ベロベロでしたので・・・)

分かりやすくするために私と会長を例に比較してみましょう.私は病院において完全予約制で院内の心理室で50分間という時間をとって話を聞いていますが,会長は教会において参拝者や通話者相手に数時間話を聞くこともありますし,それが1日に何回にも及ぶこともあります.限られた時間内での援助しかしていない私にとって,際限なく援助を続けている会長の精神力には脱帽しています.今の私なら,途中で嫌気が差してしまうかもしれません.(←未熟)

論点はそこにあります.おたすけの心,おやさまの道すがらを辿ろうとする心を持って神にもたれていたとしても(私が持っているということではありません),際限なき援助ができるほど人間は万能ではないということだと思います.中にはそれができるキャパシティを持った人もいるのかもしれませんが,それでもおたすけの対象者が増えれば,たとえどんなにキャパシティがあっても1日は24時間しかないのですから,やはりどこかで体力・精神力の限界はやってきます.支えたくても支えきれないこともあるでしょうし,下手をしたら自分自身が消耗しすぎて嫌気が差してしまうこともあるかもしれません.それならば,最初から時間を区切って―「枠」づくり―の援助をするというのも1つのやり方だと思います.

「10時から20分だけなら時間とれるから」,「今から30分だけなら時間とれるけど」のように,予め時間を設定することで限りある時間を有効に使い,なおかつ自分自身が過度に消耗しないように守ることも可能になります.ある意味ドライだなぁという印象をも抱かせるやり方ですが,カウンセリングなどでは,その設定が目的意識と時間を大事に使う動機付けを高めることとなり治療的であると言われています.また,必ずしも無制限に相手の思いや要求をすべて背負いきることが,その人のため,あるいは親神様が望まれる道であるとも限りませんので,その人のことを思えばこその判断であれば,冷徹であるとか人間味がないというわけではないと思います.理由なく何でも切り捨ててしまうのであれば,そのようにも言えるかもしれませんが,その判断の裏づけとなる仮説なり展望があればいいのではないかと思います.

ただ,このおたすけのあり方についてどう通らせていただくべきなのかについては,私は現在教会に住まわせていただいているよふぼくという立場でありながら,おたすけにほとんど携わっていないという現状がありますので,自己主張はまだできません.何がよいか分からないのです.実働なき発言は説得力が無いことは承知ですが,あえて実働を伴わない立場から描く理想像だけを述べるならば,その救けを求めてやってきた人を皆どこまでも支えられればいいとは思いますが,それが普通の人間には不可能だということも感覚的に承知しているので,やはりこれといった答えも出せないのです.

先生のように,臨床心理学という学問において,あるいは心理臨床という場において治療的であり,有用とされている「枠」というものをおたすけに活かすというやり方もあるんだなぁというくらいしか言えません.もちろんこの先,自分のおたすけのスタンスを模索していく中で大いに参考にさせていただきたいです.そして,10年20年したらまた何か言えるかもしれませんので,そのときには改めて自分の経験を踏まえて述べてみたいと思います.(そのときまでblog続いているかな・・・)今日は,そういった視点の紹介ということで書いてみました.

皆さんはどう思われますか?あるいはどのようにされていますか?
おたすけをされている方のコメントお待ちしています.

※宮崎先生,私は記憶と理解がごちゃまぜになってしまうことがよくあるので,もし当該記事を読まれて誤った記述があればどうぞご指摘ください.即刻修正いたします.
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時間の区切りというのは私は大切かと思います.
訪問看護委員会でもよく話題に出るのですが,人によっては時間をきっちり決めて支援した方がいいというケースもあります.もちろん,スパッときめつけてしまうと人間味にかけますので,一概には言えないと思いますが,ケースバイケースかと思います.
私は時間より,おたすけのすごさは,専門家で出来る限界以上のことができるところにあると思います.(魂の救済)
これについては,もう少し勉強してブログの記事にできればと思います.いつになることやら・・・ですが(笑)
[ 2008/08/06 22:48 ] [ 編集 ]
枠ですか。宮崎先生がこの枠についてどのように仰られたのかを、もう少し詳しく聞きたいですね。これだけではちょっと難しいですが・・・。

おたすけを受け身としてとらえるなら、枠もありとは思います。がこちらから「たすかって貰いたい」と願い動くのなら、その方は枠は持たないのでは?。お道の方はほとんどそうではないでしょうか。周りが「会長さん、それでも枠をもたれたらいかがですか。このままでは体が心配です」という枠は、考えられます。

私のような弱い情けない人間は、枠を逃げ道のように使ってしまうのではないかと、気になります。
[ 2008/08/07 19:37 ] [ 編集 ]
こんにちわ。お久しぶりです先生。
先生といわれる人は助けなければならない使命があるんでそのプレッシャー大変ですね。
私の見解も人が人を助けようとするというのは限界があると思います。しかし限界があるからとあきらめず、限界を承知であえて燃えるような真実に神様が働けば神様がされる助けは時として無限ではないでしょうか?

これがあるから助けられるというものは一時的なものでしかないでしょう?
すべては神様からの借り物であるという本当の実感・感謝がお助けするほうには大切ではないでしょうか?
そこから何かが始まると信じています。
時間が無いので多少の感覚のズレを承知ですが・・・送信!!
[ 2008/08/07 19:44 ] [ 編集 ]
枠を決めることの、効能はなんでしょうか?まおさんも、あいこさんも、また宮崎先生もそのよい点をお認めなんだと思いますが。

まず教えてください。臨床心理・カウンセリング等で、枠を決めることのよい点は、効能はなんでしょう?

そしてそのよい点は、お道においてどのように活用できるだろうとお考えですか?
[ 2008/08/08 16:59 ] [ 編集 ]
>鯉太郎さん
重点的に話した話題ではないので,私も深くは聞いてないのです.せっかく臨床心理学を学んだのだから使えるものは使ったらよいと言っておられました.
枠はカウンセリングでは治療構造とも呼ばれます.その基本的な枠組みには時間・場所・料金・関係性(依頼者―治療者)らがあるように思います.それぞれが一定に保たれることで,日常生活にはない特殊な場が作られ,保障され安心を得るということが可能になり,その守られた構造の中で自身の内面の話ができるのだと思います.また,枠があることで破壊的な行動や危険な行動の抑制にもなります.つまりはお互いを守ることになるわけです.さらに,枠が存在し続けるにより,依頼者に対象恒常性が形成され,治療者が目の前にいなくとも心の中に治療者像が描かれて依頼者のたすけになることもあるかと思います.
これらがお道においてどう活用できるかという点ですが,私は取り入れたことはありませんので回答を持ちません.先の記事でも『「枠」というものをおたすけに活かすというやり方もあるんだなぁというくらいしか言えません』と書いた通りです.しかし,せっかくコメントをいただいたので,実践なき立場からであまり当てにならないことを承知の上で考えるところを書いてみます.
仮にお道のおたすけに活用するにしても当然カウンセリングのような構造にはまったくならないとは思います.しかし,何らかの枠を取り入れることが相手の成人につながると判断した場合には,そうした方法を考えることもいいのかもしれないという程度です.私も全然分かりませんが,仮に取り入れる余地があるとすれば,にをいがけやおさづけには当然必要ありませんので,話を聞くことが期待される場に限るのではないかとは思います.鯉太郎さんの言葉を借りるのであれば,「受け身」の立場の場合ですね.たとえば,1日に何回も昼夜を問わず,同じ訴えで電話をかけてくるけれども,聞くことが解決にならないのであれば,枠づけをしてあげて,耐える練習を一緒に取り組み,一緒に成功を喜んでいくということも有用ではないかとは思います.無論,昼夜問わず対応できるのであればしたらいいと思います.要はケース・バイ・ケースということですかね.「基本的に枠を」ということではまったくないですし,根拠のない枠ならば必要ないと思います.鯉太郎さんの知りたいところの回答になったか分かりませんがいかがでしょうか.

>haftarさん
お久しぶりです.先生と呼ぶのはやめてください.まおでお願いします.
「人が勇めば神も勇むる」という言葉もありますので,haftarさんのおっしゃる通りだと思います.自己保身や逃げ道のみの枠ということであれば必要ないかもしれませんね.それから,枠をつけることで神様からの借り物であるという本当の実感・感謝を忘れるようであれば無論必要ないと思います.
[ 2008/08/08 20:15 ] [ 編集 ]
自分の持てる力をもって人を助けれるのはとても尊いことだけど、普通の人の個人的な力はとても微力であります。

人助けといえば例えば小さなものから言えば、のどの渇いている人に100円のジュースを買って上げること等から、自分の命を懸けて挑むモノまでありましょう。それをもってしても助かったといえる瞬間は一瞬で、助けたいと思って必死になっているその真実も恩知らずの行動で受けることもあるでしょう。

本当に助かるということは(神様のお陰で)お互い生かされていると言う実感を持ってもらうことでもあると思います。その実感が確信を呼び、一緒に人助け(と言わなくても共に共存している兄弟として助け合い)の上に共感を持ち、わが身を使わせていただくようになることではないでしょうか?
[ 2008/08/09 20:47 ] [ 編集 ]
全く、机上の空論
枠は神様がお与えくださるもの
自分で枠を設定するなんて、論外
お道の信仰を根本から冒涜する考えじゃないかな!
まじめにおたすけをしていないからこんな考えになる

臨床心理なんていうのは、おたすけの邪魔にしかならない人間思案の産物にすぎないことが良く分かる話だ
[ 2008/08/15 20:20 ] [ 編集 ]
>haftarさん
おっしゃるようにいろいろなおたすけの形がありますよね.生かされているという実感を持ってもらえればとてもいいと思います.

>jklmnさん
コメントありがとうございます.確かに今の私には実践がほとんどありませんので机上の空論かもしれません.しかし,お道の信仰を冒涜するという意図はありません.もし,お道に活かせるものは活かしたらいいのではないかと思い,叩き台として記事にしたまでです.皆さんがどう考えるのかも知りたかったですし.
[ 2008/08/16 09:36 ] [ 編集 ]
私は臨床心理に詳しいわけではありませんが、ただ本部でもひのきしんスクールで「カウンセリング講座」が設けられていますし、人を救ける手段でなく、自らの人救けの為の台として有効なのではないかと考えているのですが。

そこで伺いたいのですが、jklmnさんは臨床心理の何をさして、
>おたすけの邪魔にしかならない人間思案の産物にすぎない
と仰るのですか?

ぜひ教えてください。
[ 2008/08/18 22:17 ] [ 編集 ]
ひと昔前は、医者の肩書とか学者の肩書を伏せて、おたすけに専念したと思う。そうした肩書きはおたすけには邪魔になると自覚していたからであろう。周囲もそれを当然のことと考えていた。昨今のお道は「本末」が分からなくなってしまっているんじゃないだろうか。

鯉太郎さん、あなたの質問もそのレベルだと言っておきますね。
[ 2008/08/20 10:27 ] [ 編集 ]
jklmnさん,肩書きを伏せるということと仕事や学問により得た知見を生かすということは別物であると私は思います.憶測にすぎませんが,肩書きを伏せておたすけをしておられた先人方も,自らの人生経験として仕事や学問により得たことは何かしらおたすけの上に役に立てていたのではないでしょうか.
もっとも,大事なことは結果,親神様の望まれる人だすけができたか,陽気ぐらしの道が開けたかということだとは思いますが.
[ 2008/08/20 22:40 ] [ 編集 ]
jklmnさん、よく読みましょうよ。好きなこと言っているだけで、私の質問には答えて下さっていません。誰が肩書きをひけらかしてなんて言っているのですか?

もう一回伺いますね。jklmnさんは臨床心理の何をさして、
>おたすけの邪魔にしかならない人間思案の産物にすぎない
と仰るのですか?

ぜひ教えてくださいね。
[ 2008/08/23 21:29 ] [ 編集 ]
しばらくこの欄の行方を見ておりました。
及ばずながら、現場にいるものとして、
所感を述べさせていただきます。

時と場合によりますが、
枠は必要と思います。

ただ、相手の人生がかかっているような時、
おぢばがえりや修養科などの大節に掛かっているときは
もちろん別です。
そう言う時はもちろん24時間態勢です。

ただ、おたすけの現場では、
いつ果てるともしれない長話を聞いたり、
暇つぶしに教会に来られる方も
結構多いのではと思います。

こちらも生身の人間です。
家事もたくさんありますし、
最低限の暮らしはしていかなくてはなりません。
他の人のお世話取りも抱えています。
その中で、ある特定の人の時間つぶし的な話に、
延々どこまでも付き合うという方が、
かえってその人の徳減らしになるのではと思います。

個人的な経験ですが、
一日に何度も、何時間も、
特に用もないのに来られたり、
また、これは電話ですが、
やはり一日に何度もどうでもいい話に
長い時間を取られたした経験があります。
正直、ノイローゼになりそうでした。
相手に恨み心さえ持ちました。
本当はここまでなってしまう前に、
どこかで仕切れれば良かったのではと思います。
それが「枠」という一つの意味かなと・・。

枠は、初めから作っていくものと言うより、
生活する中で、あれもこなし、これも終らせ、
あの人にも会い、この人にも連絡を入れ、
と言う中で、24時間しかない時間を
切り刻んだときに、自然に発生してくるものだと思います。

あとは、その枠が、
「その人に助かってもらいたい」とか、
「他の御用もしなくてはならない」という
おたすけ心から来るものなのか、
「自分がめんどくさいから」という
我が身かわいいの心からくるものなのか、
という「心」を神様は見ておられるのかなと思います。

まあ、そんなこと言って、
私も我が身を守りたさに、
逃げてしまうときもありますけどね。
まだまだ弱い、生身の人間ですからね。
[ 2008/08/30 11:04 ] [ 編集 ]
さなさん
あとは、その枠が、
「その人に助かってもらいたい」とか、
「他の御用もしなくてはならない」という
おたすけ心から来るものなのか、
「自分がめんどくさいから」という
我が身かわいいの心からくるものなのか、
という「心」を神様は見ておられるのかなと思います。

それは必ずあると思います。

せわどりするのはなおのことですから、たすける側たすけられる側ではなく、お互いが各々の因縁によって、神様に引き寄せられるのであると思います。だから信仰している人はそういう事情や身上で自分が助かっていくから本当に有難いと思います。

個人的な力が及ばないならば、枠を作ってでも組織的に問題に関与することも大切だと思います。

というのも教会という組織でありながら、今の日本の数々ある問題点に何ら力を注げていないという事実があります。

そういう問題点は携わる人それぞれに視点が違うでしょうからまおさんとjklmnさんの考えの相違があると思います。
まおさんは私達が期待している臨床心理士としてのおたすけをこのブログで展開出来れば最高だと思いますが、考えただけで大変なことだと思います。

臨床心理士、よふぼくどちらで重きをおいていくのか、、、そこには根本から助かる事を考える必要があるのではないでしょうか。
[ 2008/08/30 16:31 ] [ 編集 ]
早くと思っていたら、さなさん、hafterさんがお書きですね。

先日災救隊の関係でおぢばにやらせていただいたとき、知人から知人の話を聞かされました。というのは、その方は教会長夫妻講習会で宮崎先生のお話を聞かれ、枠という事を次のようにお話になったというのです。

誰かに「いつでも教会においで、待ってるよ」と言うよりも、「明日10時に教会へおいで。お昼まで時間あけて待ってるよ」と。

本当にそうだと思います。その方が教会に行く!とい気持ちが生まれるのではないかと思います。ただし守られている、見てくれているという安心感は、「いつでも」という方があるとも思います。

要は枠のもうけ方ですね。いえば月次祭だって、一種の枠ですよね。食事の時間だって、睡眠時間だって。

うまく使いたいと思います。


ただし僕のような弱い人間は、枠を逃げの動機に使いそうで・・・・・。
[ 2008/08/30 21:06 ] [ 編集 ]
教祖の雛型のどこにあるんだろう??教えて欲しい。おっぱいを欲しがる赤子に「時間まで待つんだよ」とでも言うんだろうか?
[ 2008/08/30 22:16 ] [ 編集 ]
ひながたのどこにあるのかは、不勉強のためわからなくて
申し訳ないのですが、
ただ今、子育てのまっただ中にある者の実感としては、
おっぱいをほしがる子供を待たせることもあります。
米をといでおかなくては夕食に間に合わない、
せっかく久しぶりに晴れ間だからこれだけは干してしまいたい、
・・そしてあとで「待たせてごめんね」って謝ります。
それが赤ちゃんであれ、共に生活するということだと思っています。
[ 2008/09/01 10:45 ] [ 編集 ]
>さなさん
お久しぶりです.とても分かりやすいコメントありがとうございます.
おっしゃるように銘々の心を神様は見てらっしゃるのでしょうから,枠付けの際の自身の心のモニタリングを怠ってはいけないなと思いました.怠け心,わがみかわいさであれば不要なものなんでしょうね.

>haftarさん
私はまだ心理士とよふぼく,どちらも中途半端です.しかし中途半端なのに片方に重きをおいたらもう片方がほとんど使い物にならなくなってしまう,だから中途半端でいいので今の自分にできることをしたいと考えています.特化していくのはもっと先でいいと,そういう思いです.

>鯉太郎さん
時間の枠づけはその時刻の到来を意識し,その時間を大切に使うことの動機付けになるのでおっしゃる通りと思います.さらに,その時間を自分のために確保することが保障されているという安心感もあると思います.ただ,これもおっしゃられる通り「いつでも」という方にも安心感や心強さがありますね.どちらがいいのかはやはりわかりません.ケースバイケースでしょうね.
枠を逃げの動機に使いそうでということですが,仕事としてはその枠のおかげで逃げる(?)ことに成功し,自分自身を守れるということが多々あります.それを逃げとするのか,治療の水準を維持するために必要なこととするのか(自身が疲弊しては治療の質を維持することができません)は意見が分かれそうですね.

>jklmnさん
主語がないことと誰に対して問うているのかがわかりませんのでコメントは控えます.
[ 2008/09/01 20:34 ] [ 編集 ]
主語・・・「枠」などという稚拙で愚かな考え
誰に対して・・・みなさま

コメントよろしく!
[ 2008/09/01 20:57 ] [ 編集 ]
・・・・・
[ 2008/09/03 04:47 ] [ 編集 ]
jklmnさん
>コメントよろしく!
と言われる前に、私の質問に答えてください。コメントしてるのに、返事をしないのはあなたでしょう。

>臨床心理学がおたすけの邪魔にしかならない人間思案の産物にすぎないという事が良く分かる事例だと思う

臨床心理のどこをさして「人間思案の産物にすぎないという事」といわれるのですか?あなたは臨床心理をよくご存じでこういう発言をされておられるのですよね?そうでなければ、こんな事は言えないと思いますが。

求めるだけでなく、答えましょう。




[ 2008/09/03 07:38 ] [ 編集 ]
>jklmnさん
私はまだ何も言っていません.記事やコメントを書くだけの時間やエネルギーが毎日確保できるとは限りません.時間がとれたときに書くつもりでいました.
雛形にあるかどうか私には分かりません.jklmnさんのおっしゃるようにないのかもしれません.ただ泥を塗るつもりはありません.お道の勉強は少しずつしていきたいと思っています.
ところで私も聞きたいのですが,jklmnさんはどういうおたすけをされているのでしょうか?参考にしたいので是非教えてください.
[ 2008/09/03 08:35 ] [ 編集 ]
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