天理時報(第4103号)の真柱様神殿講話(要旨)の「信仰者の中身と信仰信念が肝心」「私たちに課せられた急務は布教伝道」という見出し内の次の下りが今の私には印象に残りました.
教団としての組織,体制を整えることは,公認を受けた教団としての社会的責任でもあり,また,それによって統一が取れ,安定した活動ができるようになる.
しかし,その組織や制度に安住し,内実を欠くようなことになったのでは,血のにじむような苦心を重ねて今日に至る基礎,骨格を築いてくださった先人たちの努力を台無しにしかねない.
教団の組織や規約のあり方は,教祖から直接お教えいただいたのではない.社会的に要請されたものもあれば,それぞれの時代に応じて,教団としての活動がしやすいようにと取り決められたものもある.もし,そこに本来の活動を妨げたり,時代にそぐわないものがあるようなら,見直し,修正することも考えなければならないだろう.
・・・(中略)
時代の風潮や世俗的な欲望に流されることなく,この道が教祖お一人から始まった道であることをあらためて胸に刻み,ようぼく,すなわち陽気ぐらしの世界建設のための人材としての自覚を高め,まずは身近なところから,陽気ぐらしの輪を広げていくことが大切だと思う.
・・・(中略)
教祖の教え通りにしていれば決して間違いはない,という信念をもって教えを実践することが第一だと思う.
うちの教会も母が3代目会長となって早5年です.初代の祖父の頃と比べれば随分とありがたい暮らしができるようにはなってきています.しかし,その台となったのは初代からの祖父,祖母,2代の父の伏せ込みがあったからにほかなりません.その真実を台無しにするような生き方はやはり慎まねばならないと思いますし,今教会に住まわせていただいている私たちが祖父や父の代の苦労を忘れることなく,同様の思いをもって生かさせていただくことが,その恩に報いることだと思います.同時にそれは次の代が成人して後にまた今の私と同様の感覚を抱く種にもなるかもしれません.
また,天理教も現代日本社会においては宗教法人の1つの団体の名称でもあります.元々はおやさまは「お道」―親神様の教えを広めることが願いであったわけで,団体であるがゆえ組織としてまとめあげるためのルールなどは一応決まってはおりますが,あくまでも応法の手段であり,目的ではないと私は思います.なればこそ,今の教会事情などをふまえて,真柱様が言われたように,見直し,修正することも考えなければならない部分もあるのだろうと思います.一名一人が手段を目的化することなくこの道を歩むことができれば,きっともっと多くの方にお道を知って感銘していただけるのでしょう.と書いていますが,私自身も職に就いている身で,にをいがけやおたすけに関しての実践が十分に伴っておりません.陽気ぐらしの輪を少しでも広げられるように,私は今の私にできることを少しずつでもさせていただこうと思うところであります.
10月26日の大祭に参拝することはできませんでしたが,天理時報を通して考えさせられる機会をいただきました.ありがとうございました.
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