こんな話があります.
ある人(Aさん)が勝ち負けにこだわったり,怒りや苛立ちを感じたりしやすい性格からどうも人と関わるとうまく付き合えないと.そのことを相談されたBさんは「どうして私には怒りや苛立ちなく接することができるのでしょうか」とAさんに問いました.するとAさんは「私はあなたに教えてもらう立場と思っていますから」と答えました.
それを聞いたAさんは【教えてもらう立場】に違和感を感じたため撤回しようかと思いましたが,あえて次のように言いました.「ならば,あなたの生活で関わる人に対しても教えてもらう姿勢で接してみてください.いいことも悪いことも人は他者を通して学ぶものです.よい行いをする人はよい模倣手として,悪い行いをする人は反面教師として,あなたはこれまでも色々周囲の人に教えてもらっていることと思います.上に立とうと思うのではなく,自らが1段下がり,低い心でもって教えていただくという姿勢で接してみてください.そうすれば,うまくいくかもしれません」と.
この話はここまでで結果がないので,その後どうなったのかわかりませんが・・・まぁ簡単に教えてもらう姿勢になれれば,今まで苦労していないとも思います.しかし,そういう視点に気付かなかったがためにできなかっただけで,それがフィットして解決してしまうケースもあるのでなんとも言えません.
相手の枠組みを利用したところは特記すべき点かと思います.自分自身を【教えてもらう立場】と持ち上げられるとある程度謙虚さのある人であれば,すぐさま「いやいや・・・」と撤回したくなるのではないかと思うのですが,AさんのBさんとの関係の枠組みを逆に他者への枠組みに利用するという発想は有用に思えます.その枠組みがその場ですぐさま利用可能であれば,(たとえ自分自身が腑に落ちなくとも)相手にフィードバックし,その枠組みをより広い範囲に適応できるように促すのも有効かもしれません.うまくいけば,この介入でAさんの他者認知が,推測ですが【人付き合いは競争である】とか【他人より上に立つべきだ】という枠組みから,【人付き合いは学ぶ場である】とか【他人から教えてもらおう】という枠組みに変化する可能性があります.
これは,わりと普通にやっていることだと思います.たとえば,家族には挨拶はできるけれども恥ずかしくて友達になかなか挨拶のできない子どもに挨拶を教える場面もそうかもしれません.
お母さん「たけしくんはどうしてお母さんにはおはようできるのかな?」
たけし「おはようするとお母さんが笑っておはようってゆってくれるから」
お母さん「そうね.お母さんおはようされると嬉しくて思わず笑っちゃうのよ.お友達のかなえちゃんも同じじゃないかな?今度会ったらおはようって言ってごらん」
たけし「うん,わかった.やってみるよ」
なんて,会話.【挨拶をすればお母さんは笑ってくれる】という枠組みを【挨拶をすれば友達は笑ってくれる】という枠組みに拡大させようとする試みですよね.同時に【友達に挨拶をするのが恥ずかしい】という枠組みが【友達に挨拶をすると気持ちがいい】という枠組みに変化する可能性もありますね.もっとも大人は子どもと違って余計な思慮が働きますから,こんなに簡単にはいかないことの方が多いかもしれませんが・・・.だから,素直な「さんさい心」は大切なんでしょうね.
話がそれましたが,このように枠組みは今現在のその人にとっての枠組みなだけであって,介入によりいくらでも変えることが可能なのだと思います.様々な思考やそれに伴う感情が妨げとなってなかなか変えられない面もありますが,うまく染みる言葉に出遭えると意外と枠組みが変わってしまうこともありますし,何度も試行錯誤しながら新しい枠組みを獲得していく場合もあります.どちらにしても,自分にとっても他人にとっても(要するに皆ですね),お互いにとって生きやすい枠組みを作っていけるといいですね.
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