母が半年ほど前から,色々な本を読んでいます.
(以下は旧ブログからの転載です)
今まで(20年以上)ほとんど外出することもなく,本を読む時間もなかったとのことで,今自分の足で買い物(といっても日用品・食料ですが)やおたすけに行けること,好きな本を読むことができるのが嬉しくて仕方がないと言っていました.
私が「苦労は先の楽しみだもんな」と言うと,「これまで苦労したのはきっと必要なことだったからだろうし,それだけ苦労したから今本が自由に読めるということを喜べるんだよ」と母は言いました.
「本当につらい人生だよ」と悲観して,自分の家庭を,親を,そしてその不遇を恨んでしまう人も世の中にはいるでしょう.しかし,その苦労の道中があったからこそ,今を喜べると考えるならば,その苦労には「意味」が与えられるのです.意味が与えられた苦労は「つらい」のみの苦労ではなく,先につながる苦労です.その苦労があったからこそ,見える・わかることもあるでしょうし,苦労したからこそどんなことでも喜びを見出すことができるのかもしれません.苦労は「先の楽しみ」となる,あるいは「喜びの種」となる人生の財産だと思います.そして,苦労に「意味」を与え,喜びを探していく生き方・考え方の道標となってくれるのが天理教の教えだと思います.
心理学的には精神科医で実存分析創始者であるV.フランクルも言っていたことに近いです.強制収容所の過酷な生活の中ではその生活に「意味」を持たなくては生き続けることができなかったでしょう.宗教に否定的だと感じる人はフランクルの著書を読むと人生に深みが出るかと思います.今,書店に彼の訳書がたくさん並んでいます.現代社会は意味喪失の時代だと彼は言っていたように,今意味を見出せない人が多いです.しかし,どんな人生にも必ず意味があります.その意味を考えてみるとあなたの人生にも広がりが出てくるのではないかと思います.
あなたの人生にはどんな意味があるでしょうか?
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